お話しサロン

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お知らせ
投稿者/中四国・関西エリア合同企画さん
投稿日/2018年12月12日(水)20:04 [れす]


 
 お知らせです。

 久しぶりに岡山で研修が開催されます。 
 
 1月27日 日曜日 岡山きらめきプラザ
 
 10時〜12時  行動形成セッション
 13時〜16時  対人リテラシー入門〜ケア従事者のためのコミュニケーション
                   学〜

 HPにはまだ記載されていませんが、メールで申し込みできます。
 ぜひ、ご参加ください。
 

ケア従事者の為の対人学入門に参加して
投稿者/臨研生 リンゴさん
投稿日/2018年12月9日(日)19:30 [れす]


今回のテーマはケアカウンセリング協会の目的である「ケア従事者のメンタルヘルスのサポート」について、学ぶ機会となりました。

私が学んだ事は、
@他者援助を通した自己成長とは、善意をもってケアを行う事で返ってくる反応によって、良い成長ができること。ニーズが把握出来ずに悪い反応が返ってきても、それは自分を見直し、考えるきっかりになる。そして、今までよりもバージョンアップした自分になる!こと。

A「セラピストが病気を治すのではなく、本人の治す力をサポートする」
改めてケア従事者として見直すきっかけとなり、とても印象に残った先生からの言葉でした。

ケア従事者のケアを行っている看護師さんのお話も聴く機会があり、とても考え深く職場の在り方を見直す日となりました。
先生を囲み行われる講義は、参加型であり、症例や具体的な例えも加わえた説明は、理解の助けとなりました。

3時間という短い時間でしたが、とても充実した1日となりました。

定期的に先生の勉強会に通う事で、自分自身が成長したと感じる出来事もありました。大変だと感じていた事が、あっという間に乗り越えられたのです。
患者さんにとっても、ケア従事者にとっても、よい職場環境になるように、引き続き学んでいきたいと思います。ありがとうございました。

何回聴いても面白い
投稿者/頑張ったさん
投稿日/2018年12月11日(火)22:11


ケアは想像力を働かせ仮説を立てて関わる、「アート」だと思っていた私ですが、今回の学びの中で先生は「想像力は化学だ」
とっても新鮮にワクワク感がこみあげてくるのはなぜ?感情労働をサイエンスとして証明できる?
介護現場で働く一番苦手な部分です。まだまだ学びが必要だと感じさせた対人学入門でした。
臨研生 リンゴさん、「大変だと感じていた事が、あっという間に乗り越えられたのです」どんな事だったのかな、興味津々です。

プレゼミに参加して
投稿者/臨研生 リンゴさん
投稿日/2018年11月3日(土)22:50 [れす]


ハラスメントの心理学、自他境界の越境について学びました。
プレゼミには全国から大勢参加されており、意識の高さを改めて感じる事が出来ました。

ケアは自他境界の越境である。
人は自他境界を乗り越える事に願望がある。
誤った自他境界の越境の形、誤った不安の外在化とその対処がハラスメントや虐待。
そこにはそれまでの生い立ち、家族関係などが大きく関係している事も知りました。

プレゼミは、多くの人との出会い、頭をフル回転させて考えるという行為、他者の力を借りて理解の助けとなったグループディスカッション、先生から教わる新しい知識、とても充実した研修となりました。

ハラスメントの本質について、2日目に出れない私は不完全燃焼であり、とても残念です…。
ケアとは「自他境界の越境」?!
投稿者/精神看護学教員さん
投稿日/2018年11月3日(土)23:15


 すいません。私はそちらの協会様とは関係の無い者ですが、このコーナーには時々うかがわせてもらっています。この協会様はちょっと不思議な会ですね?学会というわけでもなさそうで、でも、かなり学術的な問題意識の高い方々のお集りとお見受けしました。今夜は、「ケアとは自他境界の越境である」にはびっくりしました。確かにそのような観点で考えると、いくつかの問題がストンと胸におちます。大きな気づきをいただき、ありがとうございました。また寄らせていただきます。
「自他境界の越境」〜その奥深さ〜
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月14日(水)00:39


「自他境界の越境」→ 今まで、分かっているようで分かっていない自分が居たなぁ…と感じています。

ケアとは「自他境界の越境」
この言葉で、ケア・カウンセリング協会に入って何年か経った頃、研修で学んだ事が蘇ってきています。

自分の目の前に困っている人が居て、例えば、その人が腹部を抱えてしゃがみ込んでいたとしたら、たいていの場合「どうしましたか?」「お腹が痛いんですか?」とか「大丈夫ですか?」と声をかけるでしょう?と、先生が講義で仰います。
どうして、その言葉が自然に出てくるのでしょうか?という先生の質問を受けて、受講している私達は考え始めます。
それは、
自分の過去の経験の中に、「お腹が痛い時、苦しくて大変な思いをした」という事実があって、「自己の痛み」として「目の前の人の痛み」がリンクし、「他者の助けによって楽になる」という構造的なものが、瞬間的に「私」の脳を巡り、「助けの言葉を発する」という行動になる。ということ・・・

「自他境界の越境」が正常に機能している時、それは社会貢献に繋がるということであり、「私」(個人)は、あらたな「自分の根拠地」を獲得して、それが「自分の過去」に積み重なっていき、「自信が持てている自分」を形成していく・・・(でも、「小さな親切」で止めておかないと(介入し過ぎると)「大きなお世話」になってしまうので、「良い加減」が必要です。)

歪んだ「自他境界の越境」が起きた時、それは、様々な問題行動につながっていく・・・その最たるものが虐待であろうと思います。そして、それら個々の案件が警察のお世話になるような事件へと繋がっていくのだと思います。
「歪んだ自他境界の越境」をした人が「自分の根拠地」とするものは・・・
「自己アピール」…「社会の注目を浴びること」→「実際は他者に白い目で見られている」ことなのだけれど、もともと歪んでいるから「あたかもヒーローになったような気分で自己満足する」というような精神状態になるのだと思います。
自分 ← 私 → 自己 の視点で…
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月22日(木)05:12


先日の投稿で、中段から後のくだりを読み返してみると、自分と自己に関しての記述があいまいな事に気付きます。

「自他境界の越境」が正常に機能している時〜・・・それが「自分」の過去に積み重なっていき、自信が持てている「自己」を形成していく(自己形成)。それを行っているのは「私」というのが、スッキリした理論だと思います。
ちなみに…
「歪んだ自他境界の越境」をした人の「自己アピール」は、歪んだ自己アピールということ!

「自己形成」に自信を持てている人間は、わざわざアピールしないと思います。「歪んだ自己アピール」は、「自分」に自信がなかったり、他者に認められなくて(認められていないと「自分」が感じていて)寂しい気持ちがあるから起きるのではないでしょうか?
難しいですねぇ〜
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年12月11日(火)04:03


読み返していて、更に「私」に関しても、あいまいな記述をしていた事に気付きました。

前の投稿の最後のくだり、『他者に認められなくて(認められていないと「自分」が感じていて)』と書きましたが、
正しくは、(「私」が感じていて)でしたね。

「自分」には瞬間的に「訪れ」、「感じる」のは「私」、→ 「今」、瞬間的に自分の中に訪れたものを含めた、過去の自分の経験に基づいて形成されていくのが「自己」、その自己形成をしているのは「私」というのが、昔に受けた研修での理解です。

エンカウンター・グループ
投稿者/品川博二さん
投稿日/2018年11月25日(日)19:15 [れす]


 本日、池袋こども村でエンカウンター・グループを、協会の公式プログラムとして初めて実施した。「エンカウンター」とは「出会い」を意味する英語であるが、CRロジャースが開発したグループ・アプローチとして世界的に知られている。わが国でも、1980年代以降は教育や企業で取り入れられ、一時期はブームでもあった。
 しかしながら、欧米のキリスト教文化を背景に構成されたエンカウンター・グループは、そのまま我が国の文化に適用することに、いささかの齟齬があったと思われる。一部の非寛容なファシリテーターの介入に、一過性の反応性神経症に陥るメンバーもあった。
 本来、エンカウンターは、メンバーの自由な自己体験を、他のメンバーとシェアリングしてゆくプロセスであり、決して攻撃的な内容ではない。しかし、「他者に気遣う」日本文化の対人態度に慣れ過ぎた私たち日本人には、自由はやや過激な様相を呈して、対峙してくる状況もあったのである。
 本日のエンカウンター・グループは、もちろん、穏やかでしかも気づきに満ちた体験を参加者の皆さんとシェアリングできたと思う。これは、構成的集団認知行動療法(行動形成法)の蓄積されたノウハウが、良い影響を与えたものと確信するが、メンバーの皆さんのホンネはどうかな?
 行動形成法を比較検討する意味でも、再度、エンカウンター・グループを実施して、多くの会員の皆さんのご意見をいただきたと思っている。
奇特な皆さん
投稿者/頑張ったさん
投稿日/2018年11月26日(月)05:53


巷では紅葉狩りに最高の3連休の最終日。奇特な皆さんと奇特な先生を囲んでの、エンカウンター・グループ体験でした。
「自由に話す」事を前置きされ始まるが、自由に話す事はとても難しい。自由と勝手の違いは分かるが、今も、先生への書き込みに応えたい私がいる。これって先生への気遣いであって、自由に話している訳ではないになる?
これは私の「他者配慮」だから自由発言だと思いこもうとしている「いいかげん↓」な自分がいます。ごめんなさい。
自己開示→他者配慮→関係の再構築・これがエンカウンターのプロセス。自由発言の中にこれらを意識しつつ会話を進めるのだそうです。
今まで先生からいろんなことを学んでいます?が、全ての事に当てはまっているように思います。
新しいメンバーも入り、その方の話を聞きながら、トラブっているのは、その方への「依存している」と言う先生の言葉に、大きな気付きを貰い、自分自身のヒントにもなりました。
とっても得した一日でした。参加出来なかった皆さん、残念でした!
そして、昨日のメンバー、先生に感謝です。

自由でしたよ(^^)/
投稿者/品川博二さん
投稿日/2018年11月27日(火)00:07


頑張ったさん
さっそくのレスをありがとう。しかもとても自由なあなたのコメントにうれしくなりました。と言うのは、自由について考える時、権威や権力から自由になることは、案外分かり易いけど、実は手強いのは、自分自身の都合(欲望)から自由になることだ!あなたの「先生への書き込みに応えたい私」とは、それをあなたは「気遣い」と書いてるけど、この気遣いとは、相手の行動に反応する関係現象ということ。自分自身の都合の正体は個体現象だから、関係現象に自己表現を試みるとは、優れて自由なのだと思います。
自由とは、一方で個体の都合に動機づけられながらも、他者の行動に反応して、自他の関係の「よいかげん」を生きることだと思うね。それが「自己開示→他者配慮→関係の再構築」というエンカウンター・グループのプロセスと思う。
理屈にすると、なんかメンドクサイけど、私には、とても優しく、互いに相手を受け止め合う、結構いい感じのグループ体験でした!ありがとうございました。

どう違う?それとも同じ?
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月28日(水)00:45


エンカウンター・グループ体験の事を拝読している私は、この協会に入会したての頃に体験したifグループ体験のことを思い出しています。

当時、ケア・カウンセラーを取るための受講項目に初級・中級・上級コースがあってifグループは上級コースでした。
順番は関係なく、どの級から受講しても良いという事だったのですが、私の都合で最初に日程調整がが付いたの日の研修が上級コースだったのでした。
思わず「えっ?いきなり上級コースっ?」と言ってしまったのを思い出します。

記憶がおぼろげですが、確か、二重の輪になって内側の輪の人達が自由発言をして、外側の輪の人達がそれを見ているというような形だったと思います。(もしかしたら、何かの研修とごちゃごちゃになっているかもしれませんが…)

先生に「自分も相手も自由になるように過ごして下さい。ハイ、どうぞ」と言われて、しばらくの間、誰も発言できなかった、あの「不自由な」何とも言えない空気感が思い起こされます。
その「何とも言えない圧迫感のようなもの?」に耐えかねた方(後で、彼女から空気感に耐えられなかったという言葉を聞いています。)が発言の口火を切ったのは、猫の話でした。その話に呼応して何人かの方が発言しましたが、私は猫も犬も「ダメ派」なので、何も発言しませんでした。
口火を切った方が、それを感じたのかどうか分かりませんが、ifグループが終了した後、「私は自由だと思ったけど、猫に興味ない人も居るよねぇ。その人にとっては不自由だよねぇ。」と言っていました。
でも、「他者の話を聞く」ということは、人生にとって大事なこと! → 「自由を獲得するヒント」は、沢山ありそう!

そして、ifグループは内側の輪の人達も外側の輪の人達も、終了する毎に感想を述べていたような気がしますが・・・
エンカウンター・グループとは違うものなのでしょうか?



私発!被災者の今、情報 88
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月25日(日)01:29 [れす]


「何となく」の気分で、久々に、同級生の釘子 明さん(陸前高田被災地語り部「くぎこ屋」)のフェイスブックを開いてみました。

彼は、様々な話題を載せていますが、紹介されているアート作品の文面から「私」の中に訪れてくるものがあります。

「白く光る商店街のタイルや曲がった看板で、ここに確かにあったまちを知ることが出来る」
「手向けられた花やお線香で、ここにいた人を感じることが出来る」
「その上に重なって伸びる草花や鳴く虫の声で今ここに生きているものが見える」

確か、東日本大震災から3年位経った頃だったと思いますが、義姉が、陸前高田に行ってみたいと話し、夫が案内しました。私は、まだ精神的に病んでいた時期だったので、夫に対して「私は行かないからね!」と、強めに言ったのでした。
夫は「そんなに威張られでもなぁ」と… (別に威張っていた訳ではありません。何故か分からないけど、言い知れない「苛立ち」に襲われていただけです。)
義姉は帰ってきてから「あそこに町があったって言われてもなぁ」と… (その言葉は私にとって非常にショックでしたが、全く義姉を責める材料になるものではありませんし、「誰にもぶつけようのない、やり場のない気持ち」を、義姉の言葉を聞いた瞬間から今日まで、ずっと持ち続けていました。

今日、上記の「言葉たち」に出合って、私の気持ちは救われています。
先日、大船渡(実家)に行った際、通過した陸前高田の街は、かさ上げ用に山積みされていた(巨大ベルトコンベアーで運ばれていた)土が、ほぼ全部均されて、土地の高低差を感じない「広野」になっていました。
夫は「高い感じしないよなぁ」と言いましたが、私は「いや、確実に十数メートルは高くなってるんだよ。」と返し、「昔のものは、その下に埋まってるしね。」と呟きました。

今の時期は、16時を過ぎると暗くなります。帰り道の陸前高田は、今の中心市街地がイルミネーションのように光り輝いていました。一方、高田松原の横は…分断されたように真っ暗です。この暗闇の部分の殆どが私の「おもいでの場所」(今は地下)…

間もなく師走を迎えます。
毎年この時期になると、何故か地震の回数が増え、犠牲になった方々や「もの達」が対話を迫っているようさえ感じます。
来年は、震災から8年目を迎えます。
訂正です
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月25日(日)01:47


2行目・・・「私」の中に訪れてくる と書きましたが、正しくは「自分」の中に訪れてくる ですね。
(自分 ⇔ 私 ⇔ 自己 の かつての講義で、品川先生は「訪れるのが自分(自分の中に訪れる)」と言いましたよ。確かに…)
それと
最後のくだりに脱字がありました。正しくは…
〜犠牲になった方々や「もの達」が対話を迫っているようにさえ感じます。 でした。


臨床死生学を受講しました。
投稿者/栄太郎さん
投稿日/2018年11月24日(土)20:35 [れす]


 初めて、品川先生の講義を拝聴しました。5時間の研修があっというまでした。そのパワー、博識、情熱に圧倒されました。そして臨床死生学の深さに改めて関心を持ちました。しかし、先生もおっしゃっていたように、講演が済んでしばらくすると、自分の頭の中が真白になっていることに気づきました。必死にレジュメにメモを書き込んだのですが、再度目を通すと、全てが夢の様で、まるで品川先生のマジックにかかっていたように思えます。
 先生は「自己対象化」の知識とおっしゃいましたが、確かにこれまで私が受けた来た研修とは、まるで質の違う講演でした。何とも不思議な時間でしたが、ただ、私の亡くなった父親のことが思い出され、十数年振りに泣きました。
ありがとうございました。
良かったですね
投稿者/ホットさん
投稿日/2018年11月24日(土)21:34


栄太郎さん、良かったですね。
久し振りに、お父さんとの再会ですね
お父さんが喜んでいると感じた私です。
生と死の境を超えて!
投稿者/サチコさん
投稿日/2018年11月24日(土)21:56


品川先生は、臨床心理士じゃなくて霊媒師かもね((+_+))
ホントに生と死の境を超えて関係が生きていると、先生の講演を聞いていると思えてくるから不思議です。帰って夫に話したら、私が洗脳されたんだと取り合ってくれません。こいつに「たましい」の話しをしても無駄かと哀しくなったよ!
でも、先生が宗教でなく、心理学で、生と死を研究されているのが、素晴らしいと思いました。また、別の研修にも参加してみたいです。やっぱ洗脳されたか?

関東エリアからのお知らせ
投稿者/関東エリアさん
投稿日/2018年11月14日(水)19:15 [れす]


お話サロンを閲覧していらっしゃる皆さん、いつもありがとうございます。
北海道エリアの真似になってしまいますが、研修のお知らせです。
まだ、一度も参加せず、なんとなく興味がある方にも是非この機会を利用してみてはどうでしょう。
どの様な学習をしているのか、手ごろな受講料と、短い時間で、ケア・カウンセリング協会の必要性が感じ取れるのではとと思います。
技術と知識に沿える≪心≫の学習場だと、私は感じております。

「ケア従事者の為の対人学入門」
会 場:池袋 こども村4F
日 時:12月9日(日)13:00〜16:00
参加費:2,000

是非ご参加ください。お待ちしています。
詳しくは 日本ケア・カウンセリング協会HPの研修予定 をご覧ください。

興味深々
投稿者/シンシンさん
投稿日/2018年11月14日(水)22:59


ケア従事者の皆様
お仕事で毎日疲れていませんか?なぜ疲れるのでしょうか?仕事の量?仕事の質?給料の低さ?色々疲れる原因はあるのでしょうが、私は人間関係がやっぱり疲れる原因の1位じゃないかと思います。
先生の話を聞くだけでなく、互いによいコミュニケーションの取り方を学べ、研修が終わった時には笑顔になっているんです。
心理関係の勉強は研修費が高くてなかなか参加できない方も、こんなにリーズナブルな価格で参加できるんですよ。
是非、元気をなくしている方がいたらふらっと来てみては?
子ども村だけど大人も行けます。

北海道エリアからのお知らせ
投稿者/北海道エリアさん
投稿日/2018年11月14日(水)13:53 [れす]


協会のコンセプトに関心を寄せ、お話サロンを閲覧してくださる皆様、こんにちは。

北海道エリアでは、毎年行動形成法ワークショップを開催しています。
今年は12月1日(土)、2日(日)に「かんぽの宿、小樽」(小樽朝里川温泉)にて予定しています。
ワークショップでは、じっくり・深く・丁寧にシェアリング!美味しい夕食を皆で囲み、たっぷり使った頭と心を温泉でリフレッシュできます。
是非、一人でもお多くの方に参加していただきたいと思います。
宿泊はできないが参加したいなどという方には日帰り参加も用意しています。
詳しくは協会HPの研修予定をご覧ください。



一生懸命何もしない
投稿者/いのししさん
投稿日/2018年11月10日(土)00:25 [れす]


アドバイスありがとうございます
自然体で対象者に向き合って、一生懸命何もしない‥
生きづらさを抱えている患者さんとの面接では つい何とかならないのかと考えてしまいます。けれど、それこそが自他境界の越境になってしまうのでしょう。
自然体で向き合える支援者になるために、セルフモニタリング・セルフコントロールが必要なのだろうと思う私がおります。

<< No title >>
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月12日(月)18:37


お役に立てたでしょうか?
私の精神科勤務は、新卒から3年間と、それから20年近く経って6年間でした。
久々に再度、精神科勤務に就いた時は「ずいぶん進歩しているなぁ」というのが率直な感想でした。
ただ、精神科看護の根本的な精神は、いつの時代も同じなのだと思っています。

勤務している頃は、ただ、ただ突っ走っていたなぁ…と振り返っています。(猪突猛進)
ちなみに私は、いのしし年生まれです(笑)

追記
投稿者/いのししさん
投稿日/2018年11月8日(木)01:00 [れす]


「精神科の看護とは一生懸命何もしない事です」の意味を引き続き考えました。
これは患者と支援者の相互関係があっても、共同が幻想である事を受け入れるという事ではないですか?
ご意見をいただきたい私がおります。よろしくお願い致します。
元、精神科看護師としては・・・
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年11月8日(木)03:21


「共同が幻想である」=「共同性への見果てぬ夢」→人間の本質(by品川)

私は、こむずかしい理屈がなかなか理解できない(理論で武装する事ができない)人間です。
「精神科の患者さんも同じ」→ 精神科の患者さん自身に、私達のこむずかしい「理屈」は一切関係ないのです。(精神科看護師として「理論」は最も重要→対・患者さんとの間での戦略として…)
言い換えれば・・・
私達の「理論」は、患者さんにとっては「ただの理屈」に過ぎない。
では・・・何を根拠地として、精神科看護師は患者さんと向き合えばいいのか?

「私」個人の理論は「揺るぎない自分自身のベース」として「自分自身の内面」に持ちつつ、自然体で相手に向き合うということではないでしょうか?
患者さんにとっても、看護師にとっても「私は、あなたじゃない」→決して「私は、あなたにはなれない」のです。(人間の本質)
だから、患者さんが(私達にとっての)「勝手な理屈」を並べたてて、あれこれ要求してきたとしても、社会通念上「出来ないものは出来ない」と、毅然とした態度を取る必要があります。(これは、子育てにも通じると思っています。)
患者さんは、要求が通らないから、あの手・この手を使って、しつこく看護師に迫るでしょう。
ここで登場するのが・・・
「一生懸命何もしない」こと! → 辛いですよぉ〜! 患者さん、しつこいですから・・
徹底的に「仕事の邪魔」をされます。「あの看護師は嫌な・駄目な看護師」にされます。・・・患者さんが社会的に通用する人間になる為に、「(患者さんの事を考えつつ)一生懸命何もしない事」が必要なのです。
患者さんも考えます・・・そして、今度は、看護師を褒め称えます。 → ただ、ひとえに要求を通したいから…
ここで、それに乗ってはいけません。(特に経験が浅い看護師は、乗ってしまい、患者さんの思うツボにはまります)

患者さんも看護師も、あがきながら「患者さん自身を一歩だけ、一般社会に近づける」→この繰り返しが、精神科看護ではないでしょうか?



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