お話しサロン

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「表層演技」「深層演技」に当てはめるなら・・・
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2022年8月12日(金)05:14 [れす]


「今は昔」と思えるほどのかつて、盛岡研修で、この「演技」に関する研修がありました。 参加者の皆様は飲み込みが良いように感じられましたが、私には「いっこうに分からない!」品川先生が「これは、お金を払ってでも見たい演技なのかどうか?」などと「のたまう(失礼!)仰る」もんですから益々分からない!!・・・この「分からないトラウマ」が、現在まで延々と続いていた私です。
さて、あれから何年か経ち
今、また「表層演技・深層演技」で盛り上がっていますネ♪

今年、上半期は「激動」としか言いようのない半年でした。
私の家族と、離れて暮らす実の両親の両方が安定した生活を続けられるように、社会資源と繋げるために「やらなければならない事をやるのが(やってきたのが)表層演技」。「これでいいのか?この方法が正解なのか?と(今、まさに)暗中模索している、その過程が深層演技」という事なのでしょうか?

「真」と「偽」の間に「演」(深層演技)がある! 
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年8月6日(土)22:13 [れす]


「真」と「偽」の間に「演」(深層演技)がある! 
 〜 行動形成法から集団深層演技法へ 〜
研究所長/臨床心理士・公認心理師 品川博二

「真」と「偽」との間の隔たりは遠い。
自身をふり返った時、私はいかに十分でなかったかということを認めなければならない。仕事は完璧に成し遂げられなかった。人間関係も不適切であり、信頼に応えられなかった。様々な課題の解決に、努力を尽くしたとは言いがたい。
 日々の目先の忙しさを「やらない理由」にして、為すべきことを後回しにした結果、気づくとあっという間に歳を重ねてしまった。このまま、「老い」に入るだけだとしたら、なんとも残念ではないか?
 世の中には私の理想と思える方々が何人もいる。彼らが「真」であるなら、私の有様は「偽」である。「真」に憧れる情熱はまだ枯れていないと信じるが、「真」と「偽」との間の隔たりは遠い。この隔たりを越えることを、実のところ、私は「もはや諦めている?」と思うと、なんとも情けない思いに襲われる!
 若い時ならともかく、50も過ぎると大きな夢は少しづつ肩から降ろして、「あるがまま」の実態に適応してゆくことが、「安全で楽」である。かくして、私は夢を捨てたオジサン・オバサンの同類になってゆくのか?
 確かに、私の周囲の人びとは過去に想いを寄せながら生きている方々が少なくない。しかしながら、私にはまだ「明日」を失っていない確信がある。そのエビデンスこそ、ケア・カウンセリング協会とその仲間の皆さんである!
ケア・カウンセリング(の理念と仲間)は今の私の希望であり、プライドである。私にとって、ケア・カウンセリングは、未だに「真」と呼ぶにはあまりに不十分であるが、けっして「偽」ではない(行動形成法の研究は、「真」に至る確信あり!)。ケア・カウンセリングは、日常性の「偽」に陥る私を励まし、「真」に向かって誘って(いざなって)くれるコンセプトとスキルなのである。

<< No title >>
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年8月6日(土)22:13


ケアを通した「深層演技」の体験
ケア・カウンセリングの研修で「深層演技」という概念が使用され始めたのは、比較的最近である。深層演技はロシアの演劇理論家、スタニスラフスキーの提示した概念である。「表層演技」が、相手との関係で「望ましい役割」を「演ずる」ことが目的であるのに対して、深層演技は与えられた役割演技を自身が「生きる」ことが真の狙いなのだ。役割演技を「生きる」とは、表層演技のように他者に演じ、他者(観客)を満足させることではない。自分が自分自身に「演じる」こと(自己と対峙し、そして納得すること)が深層演技なのである。表層演技は相手を満足させれば成功だが、深層演技は、自身が納得できなければ失敗である。

 精神障害者グループホームの世話人をしているソーシャルワーカーのAさんに、終業時間ギリギリに、利用者から連絡が入った。「排水溝が詰まった」というのだ。時間的に、明日のスタッフに引き継ぐという対処もあったが、彼女は利用者の部屋を訪問した。汚れた排水溝にゴミやヘドロ様の付着物で水が溜まっている。「これは、明日業者に頼みましょう」と言いたい言葉を飲み込んで、彼女はあれこれ工夫し、最後は素手で付着物の除去に取り組んだ。初老の利用者が彼女の行動を感心して観ていた。悪戦苦闘の後、見事に水は流れ出した。利用者の感謝の言葉と共に、彼女は自身の行動(演技)にささやかな「納得」を感じたに違いない。
 彼女は、この排水溝の処理を「心から望んで行った」訳ではない。本当は嫌だったに違いない。彼女でなく、他の人だったらどうしたろう?その利用者の日頃の生活管理能力の低さを指摘しながら、「明日、業者に来て処理してもらいましょう」のセリフで終わったかもしれない。つまり「言い訳を整えた、手抜きの」の表層演技である。私たちの現実社会では、このような表層演技(偽)に満ち溢れているだろう。
しかし、Aさんの行動(役割演技)は、すでに利用者さんへのサービスではなかった。彼女は自身の「内側からの声」に応えようとしたのだ。ヘドロの排水溝に素手で取り組むという、いささか覚悟の要る仕事は、利用者さんへの表層演技から始まり、彼女自身の深層演技に移行していた。彼女の深層演技は、利用者を感動させ、そして彼女にも臨床家としての「納得」(真)をもたらしたのである。

<< No title >>
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年8月6日(土)22:14


「真」と「偽」の間に「演」がある! 
 「詰まった排水溝」というちいさな日常性のエピソードに、実は深層演技のエッセンスが隠れていた!私は、彼女の体験から貴重なヒントを得た。
 ケア・カウンセリング研修で、深層演技が出てくると、目に「?」が浮かぶ受講生が少なくない。でも、深層演技とは、深山幽谷の奥儀ではない。日頃、臨床のなかで、皆さんが心がけている表層演技に、「もう一息、踏み込んで、演じてみる」ことが、深層演技の突端なのだ。
「とりあえず、さしあたり」、求められた状況で出来るだけの表層演技を試みてみる。その表層演技には、ルーチン化された役割演技としては限界点(サービスの限度)があり、通常は、そこで対人ケアは終了してよい。だが、もう一歩踏み込むと、深層演技の舞台が現れるのだ。
 「真」に向かう道は、現実の不十分な実情(「偽」)にこだわるかぎり、道は拓けない。「偽」の自分は、言い訳、怠慢、裏切りの中を彷徨するからだ。「偽」から「真」に直通の道はない。そう、「真」と「偽」の間に「演」(深層演技)があるのだ! 
 行動形成法を経験した方は、思い出してほしい。事例提供者は様々な登場人物&事象を配役する。これは、事例提供者が日常の表層演技を「抜け出して」、深層演技を投影したものである。事例提供者の演出した「物語」に登場するすべての人と物は、事例提供者自身が、「偽」から「真」に至る道標(みちしるべ)として機能しているのだ。この視点から、すると、行動形成法は、「集団深層演技法」としての側面を持っていると言えよう。行動形成法の新たな視点が拓かれたと思われます。

(未完)

 追伸:コロナ禍の為、ケア・カウンセリングのリアル研修、特に行動形成法の
演習が各地で実施できていません。いましばらく、ON LINEでの研修
でお待ちください。



深層演技&8263;
投稿者/会員さん
投稿日/2022年8月9日(火)19:02


 深層演技はよくわからないですが
 行動形成は早く再開したいです。

認知症の親と共に生きる「真」って?
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2022年8月9日(火)03:17 [れす]


皆様、お久しぶりです。かつて「私発!被災者の今、情報」の投稿を続けていた私です。今、日々認知症が進行していく父を引き取り、日々奮闘しながら、コロナ禍で戦々恐々としながら、生活しています。

今年1月まで両親は岩手県の大船渡市で二人暮らしをしていました。1月時点で父は90歳、母は89歳で既に二人暮らしの限界は超えており、かかりつけの医師からは「何とかしなさい」的な事を再三言われる状況でしたが、子供である三姉妹は全員嫁いでおり、長女の私は(社会通念上の)家督という立場上、両親には過酷な頑張り方をさせたという思いがぬぐえません。

1月中旬過ぎ、父がお世話になっていたデイサービスの責任者の方から電話が入り、父の喘鳴が気になるので受診を勧めるという内容でした。そのころ父は着衣失行があり、寒い中でも下着シャツの上に(お気に入りの)ベストを着てデイサービスに行く状況だったそうです。私が実家に行った時にヘルパーさんが分かるように整理した衣類・タオル類や、母が頑張って準備したデイサービスの持ち物は一晩のうちに引っ搔き回し、疲れ果てた母が怒鳴り散らす中、迎えに来た職員さんに父の寝室に行ってもらってデイサービスに連れ出してもらったこともありました。
連絡を受けたのは金曜日!翌日は午前中だけ掛かりつけ医が診療していたので休みを取って受診させました。診察時は肺雑音なく酸素飽和度も正常でしたが、レントゲン写真では片肺が真っ白!医師が「入院させられますか?」と仰るので、私の住まいの近隣の県立病院に紹介状を頂き月曜日受診の段取りを取りました。しかし、案の定、様態は悪化していき日曜日の朝には救急搬送!肺炎で入院し、退院と同時に引き取って、、住所変更・サービス申し込み・契約等、諸々の手続きを行いつつ、母の様子観察・・・続く


続きです
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2022年8月9日(火)03:51


父の入院中に我が家では受け入れ準備を進めていましたが、退院日の2日前に母がショートステイ先で、元々の慢性心不全悪化による体調不良を起こして父とは別の県立病院に救急搬送されました。
母の退院に当たっては行き先がない状況だったので、入院と同時に退院調整を依頼し、約1か月半入院した後で盛岡の病院が受け入れて下さることになり、介護タクシーに同乗して3月中旬に転院しました。県立病院入院と同時に施設申し込み・(要介護認定が2だったので)区分変更申請等々に動き回り、盛岡の病院に2か月間レスパイト入院した時点で一関(私の近く)の施設に入所できました。ところが、入所16日目に再度、体調不良で施設の協力病院に救急搬送され入院!

岩手県の地図を盛岡を起点にして北と南に分けたとしたら、母は4か月間の間に岩手の南半分を救急車と介護タクシーで移動したことになります。盛岡の病院に転院した時点では要介護4でしたし、食事摂取がままならない状況でしたので、母の体には相当こたえたと思います。
最後の病院に入院した当初は(持ち前の?)「気まま言動」炸裂だったようですが、力尽き、7月27日に永眠いたしました。
医師からは経管栄養の可能性も示され同意書にサインしましたが、本人も家族も延命措置は望んでいなかったので経管栄養に至ることはなく、病院からの連絡で病室に到着した時は呼吸で腹部が動いているのではないか?と錯覚するくらい、自然で穏やかな寝姿の母が居ました。 続く
続きの続きです
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2022年8月9日(火)05:05


ここからが本題になります。
私は母の死を父に告げるべきかどうか、非常に悩みました。結論から言えば告げていません。
父の施設探しで、あるグループホームの責任者の方と話した時、私は母の死が近いかもしれない事を話した後で「人間として、配偶者の死には立ち会わせ、お別れして頂くべきだと思っています。」と語りました。この時の責任者の方も大きく頷き同感していました。
グループホーム入所が決定しているのであれば告げたかもしれません。でも考えてみると、この時点での私は「人間として」と言うよりも、仮に父が反応を起こしたとしても複数の職員さんが見てくれるという「逃げ」が優先していたようにも思います。

父の認知症は日々進行しています。現実問題、今の時点で他者の言葉がそのまま伝わらない(例えば「おしっこ出るの?」と聞いても「おしっこ」と言う言葉が伝わらない,尿が出る事を不思議がり「い〜や、勝手に出てくる。どっから出てくるんだか?」と話す)レベルの認知症患者に「妻の死」を伝えるのは至難の技なのです。葬祭に立ち会わせるとなると、専属で父を見ている人が必要になりますし難聴の父に大声で話さなければなりません。いつ、トイレに立つかもしれず、お焼香の席は無理です。まして、火葬と葬儀はお墓の関係で30キロ以上離れた地域で別々に執り行っているので、『会わせたら自宅で待機』という選択もできない状況でした。私は、「伝えるからには、お骨になる前に会わせる必要がある」「会わせない(会わせられない)からには、伝えない必要がある」と思っています。
かつての盛岡研修で「認知症患者は「今」だけの連続の中で生きている」と教わりました。
父に「妻の死」を伝えるか?伝えないか?
決定するにあたり、ある時の父の言動を思い起こしていました。
父:「母ちゃん、どうなってだんだ?何処さ居るんだ?」
私:「(父とは)別の施設に入って暮らしてだよ」
父:「あ、そうがぁ。ほんだら良かった。」
このやり取りの時の父の安堵した表情が思い起こされ、私の脳裏に焼き付いていることを実感していました。
「人間として伝えるべき」と思っているのも私。「現実的には無理だよ」と思っているのも私。どっちにしろ自己満足の境地だと思ったのです。
「伝えたら少なからず、悲しい思いをさせる。」という、「今」の思いも「私の思い」決して「父の今の思いではない」という事だけが今、確実に分かる事なのです。だとしたら・・・
確実性を追求するのが、父も私も心やすらかに過ごせるのではないか?と思いました。きっと母は許してくれるだろう(と思うのも私の自己満足ですが・・・この事の真実は「あの世」で母に聞かないと分かりませんけどネ)
そういう訳で私は「伝えない」を選択しました。
歳を重ねる毎に「真」とは何か?…益々分からなくなっている私が居ます。


暗闇の中で
投稿者/最近はすっかり夜更かしさん
投稿日/2022年7月28日(木)08:41 [れす]


もう少し私が若い頃。
なにか怖い夢を見ていたのか、夜中にハッと目が覚めるがあった。
真っ暗な部屋の中で、突然目覚めたときというのは正直少し怖い。
時計を見ると深夜2時。
2時と言えば、幽霊が出てくる時間じゃない…?
そんなことが思いつくと尚更怖くなって、余計眠れなくなる。
でも、寝なきゃと思って電気を消して、目をつむるが、寝ようとすればするほど意識が冴えて寝付けない…。
暗闇の中に自分だけが、ポツンといるような気がして怖かった。
そんなときふと、思い浮かんだことがあった。

こんな時間でも起きている人がいるはずだ。

これから早朝の勤務に向かう準備をしている人、コンビニの店員…警察・消防署・病院には夜勤で働いている人がいるはず。当たり前のことだが、そんなことを考えていると、この時間に起きているのは自分だけではないと思え、知らぬ間に眠りについていた。

これは私の頭の中で、勝手に(ある種の)つながりを感じたのではないだろうか。

真冬の夜明け前、ふと窓を開け、真っ暗な外を眺めていると、どこからともなく新聞配達の音が聞こえてくる。これはモノローグの世界にいた自分が、社会とのつながりを感じる瞬間だ。この瞬間にモノローグは崩壊し、この世に自分の存在を感じるのである。

なぜこんなことを思い出したのか。

昨日のセルフケース検討会の鍵は【ケアマネの本質は「関係性」をもたらす人】と私は位置づけたからではないかと思っている。
<< No title >>
投稿者/思わず立ち止まってしまったよさん
投稿日/2022年7月28日(木)20:07


文学的でステキ。

お〜。
セルフケース検討会のことでしたか。

谷川俊太郎さんの「朝のリレー」がすき。それを思い出しました。

   カムチャッカの若者が
   きりんの夢を見ているとき
   メキシコの娘は
   朝もやの中でバスを待っている
   ニューヨークの少女が
   ほほえみながら寝がえりをうつとき
   ローマの少年は
   柱頭を染める朝陽にウインクする
   この地球では
   いつもどこかで朝がはじまっている

   ぼくらは朝をリレーするのだ
   経度から経度へと
   そうしていわば交替で地球を守る
   眠る前のひととき耳をすますと
   どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
   それはあなたの送った朝を
   誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ


うん。
関係性 だと思う。
最近はすっかり夜更かしさん。きっと素敵な人なんだろうなあ。

明日の専門講座
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年7月16日(土)20:13 [れす]


明日の専門講座は、一応オンデマンド講座を受講してからのシェアリング(わかちあい)というのがタテマエだ! でも、あのオンデマンド講座の「品川先生はまるでつまらんよね!」カメラに向かって、まさに大学の講義をしているだけ。あれでは、自分が受講しても「つまらん」と思ってしまう。だいたい、「品川先生の講義」は、受講生の皆さんとライブでのやり取りが「いのち」。誰も聞いてない真夜中の書斎で語ってみても、面白くないのは自明のこと。あれでは、案山子に愛を語る方がまだまし?まあ、それでも、オンデマンド講座を見てくれた方々に、明日は全力でライブをしまっせ。特に明日はケア・カウンセリングの原点を問い直すという視点で、「語り」を試みます。 人間の究極の価値とは何か?地位、名誉、財産?

臨床ワーク・ディスカッション
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年7月12日(火)18:49 [れす]


明日の臨床ワーク・ディスカッション、予め事例提供者が決っているわけではありません。「なんとなく、気になっている事柄」「クライエントさんのこと」などを、レポートにするわけでもなく、「つぶやいて」くれればいいのです。
通称、「臨床井戸端会議」です。でも、肩の凝らないダべリングでも、そこはケア・カウンセリングです。何かの気づきが閃いてしまうのです。なんとなく引っかかっていたことが、言葉に表わすと(他者と共有化すると)、あなたの内的なセルフ・モニタリングが動き出し、結果、あなたの新たなセルフ・コントロールのヒントになるかもね(^^)/
1何か、自分がこだわっていることも、皆の前に出してください。どれだけ立派な人も、自分の顔を自分の眼で見ることはできません。嫌な奴に指摘される前に、ケア・カウンセリングの仲間に言ってもらえれば、大きな気づきです。40過ぎると、自分のマイナスの部分をちゃんと指摘してくれる人は少なくなります。かつ、その場(クリティーク)を恐れて、逃げ出せば、アッというまに高齢者の自己中心性に陥ります。
脳の老化防止に、臨床ワーク・ディスカッションですよ!勉強をサボって「待つの老化」に陥らぬように!!(^^)/

クリティーク法を実生活で使ってみた
投稿者/さん
投稿日/2022年6月22日(水)20:52 [れす]


専門講座クリティーク法を受講した翌日、意識して使ってみた気付きです。

相手から話をより引き出せ&すり合わせが上手く行きました。
いかに今まで目の前の人の話を聞くフリをしていたか、を改めて痛感しています。本当に心から「私から離れていかなかった人達マジでありがとう」の気持ちです。

今までは
話を聞きながら頭の中は「いかに説得するか、いかに私のアドバイスによって解決するか、いかに的確なアドバイスを言うか」で高速回転→自分本位のアドバイスなのでなかなか歩み寄りが実現しない。もしくは一切引く。手応えを感じづらいので不完全燃焼感がある

今日は
相手の言葉をそのまま受け取りまず安心してもらう→第三の視点から伝える→話が収束して解決に向かう

「人と関わるのならば「私が」「私によって」解決に向かわねばならない」という呪縛と思い込みから解放され、相手にも委ねる余白が生まれたからか、肩に力が入りまくる状態をもう忘れそうな位、落ち着いて対処出来るようになりつつあります。
どれだけ私は、自分の事で頭がいっぱいだったんだろうと思います。

クリティークの場面
投稿者/梅雨明けを待つさん
投稿日/2022年6月21日(火)07:28 [れす]


6月19日(日)専門講座で「クリティーク」について学んだ。
グループに分かれて各自の気になることを話し、それについてグループのメンバーから言葉をいただく。

職場で私のお弁当の中身をいつもチラチラと見る人がいる。それも何度も見るのだ。
それをしているのが視界に入ってくるので、私は非常に不愉快になってしまう。という話をした。
メンバーのある方が言った。昔の日本は食糧難で、それこそ冷蔵庫もない時代だった。とても貧しい世の中であった。お弁当の見映えなど、他の子どものお弁当はとても気になるものであったという主旨のお話をされた。
私はその方が語り出した時、「あ」と何を話されようとしているのか瞬時に理解していたように思う。
お話を聞きながら私はとても切ない気持ちになり、私のお弁当を覗いてくる人の切なさが伝わってくるような気がした。

それまで私が不愉快に思えていたことがその方の言葉によって、新たな視点に変わった。

「ハラスメントと深層演技」
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年6月20日(月)23:59 [れす]


6月22日(水)20:30〜のセルフケース検討会は、「ハラスメントと深層演技」の事例です。この事例は、先日の専門講座で扱ったアンガー・コントロール補講の事例を、さらに深層演技の視点で分析を試みたものです。
事例提供者の勇気と思考力に、講師は心からの敬意を表します。ケア・カウンセリング協会の会員さんは、この事例の検討会に参加できることを、お歓びください。改めて、協会の事例検討会の「面白さ」と「深さ」をぜひ、味わっていただきたいと思います。


クリティーク
投稿者/品川博二さん
投稿日/2022年6月18日(土)13:31 [れす]


明日の専門講座は「クリティーク」について検討します。

クリティークとは何か?

クリティークとは「批評(または批判)を意味する英語critiqueですが、その語源は,ギリシア語のクリノkrinō(判断する,裁く)に由来します。。A.ラランドの《哲学辞典》によれば,批評とは,「ある一つの原理または事実を評価するために検討することである」。なんのこっちゃ?
 ケア・カウンセリング協会は、学者や理屈屋の集まりではありません。しかしながら、感情に流されたり、感覚的に物事を決めつけることは、他者援助の臨床では、しばしば問題となります。
 その意味では、私たちケア・カウンセリングが学ぶ者は、「論理的な視点」を大切にします。でも、「論理的な視点って何?」「やっぱりリクツじゃん?」と結論を急いではいけません。ケア・カウンセリング研修でおなじみのフィードバックとシェアリングは、実はこの論理的な視点を確立する為の練習だったのです。この視点のベースが臨床ワーク・ディスカッションであり、その応用がセルフケース検討会だったのです。
 今回の専門講座では、その論理的な視点を獲得する為にクリティークを勉強します。一見難しそうですあ、なんてことない。いつもあなたがしていることです。だた、あまり自覚的していなかっただけかもね。




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