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私発!被災者の今、情報 83
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年3月13日(火)01:48


3月11日〜12日にかけて、生まれ故郷の大船渡に行ってきました。実家で二人暮らしをしている高齢の両親の生活支援目的です。
「3・11という日に大船渡に行く」事は、東日本大震災後初めてです。私の体は言いようのない緊張感に支配され、こわばっていました。行くこと自体、一大決心が必要だったような気がします。
私は、震災当日に津波被災現場にはいませんでした。震災後、以前から続けていた自家の生活支援に入ったのは半年以上経ってからでしたが、津波被害を受けた後の更地を車で通っただけで体の反応が起き、帰ってきてから全身の関節痛と激しい悪寒に襲われて寝込んだことを思い出します。

11日、実家に到着したのは午後2時過ぎでした。出発する前から、『実家(高台にあります)に着いたら、外に出て大船渡湾や街並みの方を向いて黙祷しよう』と心に決めていました。
14:46・・・防災無線の放送のあとサイレンが鳴り、実家の近くにあるお寺の鐘が鳴り響きます。サイレンが鳴りやんでも鐘は、倍の時間くらい鳴り続けていました。

私は、母に頼まれた買い物をするため、町に向かいました。実家から直線距離で300mくらい先は津波浸水場所です。すぐ近くの大船渡小学校では校庭の津波の高さが大人の胸の位置くらいだったと言います。学校のすぐ脇に同級生の家があって、その家の玄関先まで水が来たという話を聞かされていた私でした。
歩いている道路は坂道です。同級生の家のあたりでは足首辺りまで水に浸かり、小学校の横を通る時は、この辺りだと腰?このあたりだと胸?と想像しながら歩いていました。・・・学校の校庭は道路より高い位置にあります。『ここの道路に居た人は、完全に津波にのみ込まれているんだ。だから、私が育ったアパート(学校と並行に並ぶような位置)も全滅だったんだ。』と思いました。そして人々の悲鳴が聞こえるような気がしました。

帰りの荷物はスーパーの買い物袋3個と自分のカバン。重い物も入っています。
実家に行く時は主人に送って貰うので、買い物は徒歩でした。目的のスーパーは大船渡線(今はBRTバス路線)を超えないと行く事が出来ないのですが、震災から7年経って階段付きの道路が整備され、実家からは近い場所になりました。
慰霊祭に参加なさっている方が多いのか、行きかう車の数は多いのですが、行き帰りの歩行者は私しかいません。特に大船渡線から海側は、実際、今の風景を見ているのですが、今の建物に昔の建物が重なって見えているような不思議な感覚にとらわれました。
帰りは重い荷物を持って坂道を上がります。実家は玄関から直ぐ坂道になっているのですが、メインの道路に出るまでは急な坂道です。買い物帰りは、まるでトドメのようにその坂道が待ち構えます。何度か休みながらでないと、重い荷物を持っては上がれず、息が切れました。
この時に思ったのは、迫りくる津波から必死に逃げている人々の事・・・神社に逃げた人々の中には、石段の横の方の土手を、生えている草木につかまりながら駆け上がったと言います。・・・「早ぐ!、早ぐ!」「早ぐ上がってぇっ!」という声が聴こえてくるようでした。

私は…『これくらいのことで息を切らしている場合ではない』と感じました。
今回の生活支援は3か月ぶり・・・昔から『片付けない病」の母が85歳の今になって片付けられる訳もなく、案の定、「おぞましすぎるゴミ屋敷」状態でしたが、いつもよりパワー全開で片付けられました。
3・11当日に実際、津波被害に遭われた方々に思いを馳せ、黙祷したことによって私がエネルギーを頂いたのかもしれません。