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虐待に潜む構図
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年6月10日(日)22:21


今日は盛岡で「傾聴・受容・共感」に関する研修がありました。
「自己」と「他者」の間には「間主観性」が存在している。それが正常に機能して(「間主観性」によってお互いを支え合っている状態で)私達の人間関係は成り立っているのだけれど、「間主観性」にゆがみがあったり、存在していない状況になっている場合に虐待が起きてしまう。と解釈しました。
研修での先生の説明の殆どには、「結愛ちゃん事件」が例として挙げられました。

「結愛ちゃん事件」の父親は「虐待」の典型的な形を辿っていると思いました。
浦島花子さんの投稿にあるように、彼も不幸な人生を過ごしてきた人間。(虐待の連鎖です)

どうして虐待は連鎖するのか?(その構図は…)
彼は結愛ちゃんが(妻の)連れ子だから…という理由で虐待したのではないのです。
彼の中には、『自分は理想的な父親になろう(彼の親のような、ひどい親ではなく)』というファンタジーがあった。そして、おそらく将来は『他の子どもよりも頭が良くてスタイルの良い娘』を夢見ていたのではないか?…だから、「遊んでいたら、勉強するようにと怒った」「太る事を嫌って十分に食べさせなかった」という現実が起きたのではないか?…と思うのです。

子ども(特に幼少期)は、「親の言う事が絶対である」という側面があります。だから「親が怒るのは自分が悪いからだ」と思ってしまう。だから「ゆるしてください。ゆるしてください。」になるのです。
彼は「理想的な父親」という、彼の一人称の(彼だけの独自の)ファンタジーの中に結愛ちゃんを取り込んでいた。
しかしながら…
結愛ちゃんは5歳!・・・5歳と言えば自我が芽生え、ある程度、自分の意志で行動できる年齢!・・・当然、親とは違う「他者」なのですから、「間主観性によって支え合う」ということが存在しなくはならないのです。
ところが…
彼の内面は大人になりきれていないので、結愛ちゃんの行動が、彼のファンタジーからずれ続けていく事に気付けない(自覚出来ない=無自覚)のです。
彼に限らず、そのような親は、自分がしていることを何と表現するか? → 「しつけ」です。

「しつけ」と称する「お仕置き=虐待」をし続けるのです。
自分がそのような「しつけ=虐待」の経験しかしてこなかったとすると、かつて、自分の親が言っていたように、第三者に向かって「しつけ」と言うのでしょう。
また、自身が虐待されていた時には親に抵抗できなかったものを、「自分のファンタジーが裏切られた(娘が自分の理想通りに行動しない)瞬間、逆上して暴力に至る」という構図なのだと思います。

浦島花子さんの「私たちは声をあげなくてはなりません』という一文に共感して書き込んでいます。
この「構図」を多くの方が理解でき、「間主観性」が歪んでいる人に手を差し伸べる事ができて、世の中から虐待が減り続けていくことを願ってやみません。

訂正です・・・
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年6月10日(日)22:48


中段以降:結愛ちゃんは5歳!・・・5歳と言えば〜 「間主観性によって支え合う」ということが存在しなくてはならないのです。(あるいは「存在しなければならないのです」)と、読み替えて下さい。
DVによるマインドコントロール?
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年6月13日(水)12:06


結愛ちゃんのお母さんは、なぜ、結愛ちゃんを連れて逃げだせなかったのか?…
私には、「逃げ出さなかった」ではなく、「逃げ出せなかった」のではないか?と思えてなりません。

現在は容疑者となった彼との間に1歳の子どもが居るという事は、過去1年以内に(もしかしたら、その前からかもしれませんが)同居しているという事。
『おそらく、彼の暴力は妻にも向けられていた。』と考えると、現在1歳の子どもを妊娠している時は、母親の本能で、お腹の子どもを守るために(彼の暴力を極力避けるために)、彼の言いなりになっていたとも考えられます。
「言いなりになる」イコール「彼のやることには口出ししない」 → 結愛ちゃんが虐待されていても「見て見ぬふりをした」という事なのではないか?と思うのです。

もし、彼がお酒を飲んで虐待していたとするならば、それは最悪の「逃げ出せないパターン」にはまっていくと想われます。
なぜなら…
このような人間は、アルコールが入っていない時は「とても良い人」に変貌するからです。暴力をふるった相手に対して、180度、態度を変えて(まるで別人のように)「痛くないかい?」「悪かった、もう、こんな事しないから。」「約束する」等と、土下座するような勢いで謝り、暴力を受けた側は、半信半疑ながらも、半ば期待を持って生活を続けてしまう。あるいは、こんな目に遭っても、『やっぱり彼が好きだから』という気持ちが優位に立って生活を続けてしまう。…ということが起きているのだと思います。

結愛ちゃんが5歳という事は、生まれた時、母親は17歳だったという事!
高校に入っていたとすれば、中退しているかもしれません。そうではないにしても、失礼ながら、とても知的レベルが高いとは言えません。学校に行っていたかどうかも定かではなく、対人関係においても同レベルの相手との付き合いになり、三人称(社会的な)の表現能力も未熟だろうと思います。おそらく、警察の事情聴取でも、一般常識では考えられない、社会的に批判をうけまくるような答え方しか出来ないのではないだろうか?と感じます。

この様な、一種のマインドコントロール状況だからこそ、結愛ちゃんを連れて「逃げ出す」という思考回路が働かなかった。まして、「1歳の子どもも抱えて」というリスクもある。と言うより、1歳の子どもの世話だけで「いっぱい、いっぱい」の状態になっていて余裕がなく、とりあえず、彼の言いなりになっているのが「その瞬間」だけは安全だから、結愛ちゃんに対しても、(パパと同じように)「遊んでいないで勉強しなさい」というようになったのだろうと思います。

私がこれまで書き込んだ事は、決して結愛ちゃんの両親を容認するものではありません。
子どもを持つ以上、親としての自覚と責任を持つべきであり、特に、3歳以〜5歳位の子どもは「第一次反抗期がなければ、将来、親も子も大変なことになる」と、特に若い世代の方には思ってほしい。という思いを強くしているのです。
子どもの第一次反抗期を親子共々乗り越えてこそ、やがて思春期にくる第二次反抗期も、上手く乗り越えられるのです。

約10年間の精神神経科勤務と、ケア・カウンセリングで学んだ経験を踏まえて、声を挙げさせていただきました。
訂正Aです…
投稿者/はらぺこあおむしさん
投稿日/2018年6月13日(水)22:25


結愛ちゃんの母親の年齢を間違って認識していました。
現在、22歳だと思っていましたが、実際は25歳でした。という事は、結愛ちゃんが生まれた時の母親の年齢は20歳です。(大変失礼しました)

ごく最近、都会のコインロッカーから赤ちゃんの遺体が発見され、母親が逮捕されたというニュースがあり、『まだ、こういう事件が続いているのかぁ…』と思いながら、母親の年齢が混乱していたと思います。

前述した投稿内容は、一般論として現代社会の中で起きうることであり、10代で出産するケースは、まれではないのが現実です。
一人で産んで、コインロッカーに遺棄したり、産んですぐに殺してどこかに埋めたりする母親・・・「いったい、どんな心境なの?』と多くの人々は思うでしょうが、出産した直後は(その瞬間は)、『どうにかしなければならない』ということのみで、「心境」というものは存在していないのではないか?とさえ思えてきます。
陣痛に耐えて生み落とし、出血も続いている状況で動き回るのですから、おそらく、思考回路は機能せず、疲労と朦朧状態が混在した状態だろうと思います。現に、赤ちゃんを遺棄した母親が逮捕・連行される場面をテレビで見ましたが、顔面蒼白でした。

子どもを産むという事は、どのように責任が伴ってくることなのか? 一人の人間の「誕生」には生まれる前からの、「今から関わりを持つ」方々の愛情が必要であるし、「死」に関しても、「今まで関わりを持ってきた方々」との関係性(愛情)の中で迎えるべきものであろうと思います。
これが「人生を全うする」ということ。 これからの時代を生きていく若者の皆さんには、どこかで、このような教育がなされていく必要があるのだろうなぁ…と、漠然と思っている今日この頃の私です。