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初めて投稿します
投稿者/紫の花さん
投稿日/2020年1月7日(火)21:37


一会員です。
品川先生に提出したもので、シェアリングしていただきたく投稿いたします。よろしくお願いいたします。
(文字数が多いので投稿を二度に分けます)

「光の空間を求めて」

ずいぶん前に国立西洋美術館を訪ねたことがあります。私は折に触れ、東京に行くことがあり、そのたびに国立西洋美術館に行きたいと思っていましたが、行く機会が持てずにいました。
 最近になって東京へ行くことが増え、この11月に機会を得たので、時間を作り美術館に行くことにし、朝早くの新幹線に乗って上野へと向かいました。

 過去に一度訪ねた時には美術館周辺を歩く人もまばらで閑散としていました。駅から美術館へのアプローチも整備され、美術館の前にある彫刻は配置場所が変わっているように思いました。
 近年、日本への観光客の増加で美術館がある上野も人で溢れかえっていました。

 東京に向かう数日前の夜、あかりを消した部屋で私は美術館に行く自分の姿を想像していました。その時私はあの場所はもしかしたら私の「原点」なのかもしれないと、何故だか理由はわからないですが、そんなふうに思っていました。

 美術館に入ると、彫刻のある空間がありました。初めてその空間を見た時の静かな衝撃が胸に迫ってきました。
 天井から差し込む光の中に点在する造形と、言葉では表現しつくせない、私の身体と建築物という空間の境目が見えないかのような居心地の空間がありました(あえて言うならば私の身体と建築物がグラデーションでつながっているような)。私が訪れたかった場所は、変わらずそこにありました。

さらに内部に進んでいくと宗教画が展示されています。宗教画のタイトルはほとんど覚えのある言葉や地名でした。
私の両親はキリスト教信者でした。私たち5人きょうだいも幼児洗礼を受けたキリスト教信者です。毎週日曜日には父が運転する車に乗って、教会へと通っていました。ミサの中では信徒や聖人の名、巡礼の地や聖書の中に記されている歴史など子どものころから聞かされ、退屈でミサの間中早くこの時間が終わらないかとばかり考えていました。
私は展示されている宗教画を観ながらこれまでの自分を思っていました。