投稿者/はらぺこあおむしさん 投稿日/2021年3月14日(日)23:50
| 東日本大震災発生から10年目の3・11が過ぎました。
今年は大きな節目の年なので、テレビ番組の特集が組まれたり、各メディアで大きく取り上げられています。本当に1年後には何が起きているのか、まったく予想ができない生活を延々と続けているような気がします。
今、10年経ったと言われると「アッという間」という感覚にもなりますが、この10年間の中で、なんと『まさか!』が多かった事か・・・『まさか、熊本で震度7の地震が2回も起きるなんて…』『まさか、御岳山が噴火するなんて…』等々 まして! 10年目の節目の年に『まさか、全世界中が新しいウイルスの脅威にさらされているなんて…』 来年の今の時期、未来が開けている事を祈ります。
いつも、この時期になると『去年の3・11、震災発生時間は何してたっけ?」と振り返ります。 去年は今と同じ仕事をしていましたが、14時46分が近づくにつれて自分の机の前から離れられなくなり、(サイレンの音はテレビからしか聞こえないけれど、時間に合わせて黙とうしていました。ただ、同僚に黙とうしてほしいとは口に出せませんでした。私自身のわだかまりかもしれませんが、やはり、『沿岸部出身の私の気持ちと内陸部の方々の気持ちが違う』という私の脳裏にこびりついた感覚から、私自身が解き放たれていなかったからだと思います。 同じ部屋に机を並べている女性職員の一人が去年も今年も持論を展開していて、『犠牲になって亡くなった方々は地震発生の後なのに(あの日のその時間は、まだ生きていたのに)、その時間に黙とうするのはおかしいと思う」と言っています。一理あるのかもしれませんが、例えば犠牲になって亡くなられた方々で同じ時間に亡くなられているという事は殆どあり得ないと思うので、私は14;46を基準として黙とうする事を支持しています。
一昨年は入居者様の病院受診に付き添っていました。東京での慰霊祭の様子をテレビで見ていて、それに合わせて黙とうしようと思った矢先、順番が来て呼ばれ、処置室の前で一人、サイレンが鳴り響かない中で黙とうしました。その前の年は、実家がある大船渡に行っていて、買い物支援をする途中、町のサイレンの音と近くのお寺の鐘の音が鳴り響く中で、お寺の鐘が鳴り止むまでの間、1分間以上黙とうしていました。 そして今年の14:46は・・・ 入居者様の機能訓練の真っ最中でしたので、終了してから心の中で黙とうを捧げました。
今年、14:46前に自分の机から離れられたという事は、10年経ってやっと『通常の私』に戻れたという事なのではないか?と思いました。 そのことに視点を当てて考えると、『やはり10年は長かった』と感じます。自分を取り戻すための10年!・・・このサロンで全国の方々とシェアリングを重ねて「肯定的相互性」に支えられ、更に心の整理をつけるために「心の復興の記録」「続・心の復興の記録」を出版し、更に本日まで投稿を続けてきました。
かつて、盛岡での行動形成法の折、両親を支えていく事への不安を口にした時に品川先生は「85歳までは大丈夫。それ過ぎたら考えればいい」と仰いました。早いもので父は来週90歳になります。母は1月で88歳になりました。父の認知症はこの1年間でかなり進み、今の私はキーパーソンとして翻弄され続ける日々を送っています。仕事上での記録文章作りで時間を取られるのもさることながら、コロナの関係等で実家に通う事を自粛している妹達に向けて両親の状況や、時々の対応の相談をグループラインでやり取りするという新しい生活様式に突入しています。 続く
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